ぱぷ火🐧💚ご飯読書哲学『ぺんぎんロマンス』

霞を食べて生き延びたい『ぺんぎんロマンス』

三島由紀夫の怒りと文学魂と日本の神々(つづき)読書記録 #三島由紀夫 #読書vlog #shorts @papusaka084

”おかしいですよ、いまの文士は政府に反抗しているようなふりをすれば進歩的であり、なんでも書きとばして、たくさん売れれば文豪であり、どうにもならないね、これは。そういう状況に対して君は怒っている。私は私流に怒っている。あまり先の長くない時間を何物かにささげたい。お国のためです。お国とは何かといわれたら、僕は日本の神々だと答えますよ。”

 

(『対話・日本人論』林房雄三島由紀夫、番町書房、昭和41年)

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百年後に知己をまつのみ(^'◇'^)ぷりっ

私の投稿なぞは全然見られていませんね。まあ、つまらない、よくわからない、気持ち悪い、などといった感想があるのかもしれません。

村上一郎氏でさえ、「わたしは、千人か五百人かそこらの堅い読者をもっている幸いをこころにかみしめた。」(『志気と感傷』)と言っているのだから、単純に比較はできないけれども、その意味に多少ズレはあろうが同じように、厳しい世界なのだと感じるのです。 

ましてや、真に理解を得られるかというと、これは大変に貴重な出来事・出会いになるのではないかと思います。”百年後に知己をまつ”とはよく言うものですね。

とまあ、かく言うけれど、何だかんだ見られていない方が楽しかったりするのだ。私は手前味噌になるが、もし私の書いたものや作った動画など、またsnsのつぶやきなどに人気が出る、なんてことが起こったとしたら、その時はまず己を疑い省みるべきだと思うからだ。

三島由紀夫氏も言っていた、思想においては形(フォルム)は火より強いが、文学となると、イメージが形(フォルム)より強いのだと。つまり文学における〈フォルム〉とは即ち作家の文体であり、それは「煩瑣な方式に化」せざるを得ないため、つまり「要約不可能」であるために、忙しい現代人からは(その無理なはずの)要約や社会的イメージによってでしか認識されないわけだが、当然ながらそんなものでは真に理解されるはずがないのだ。

ぱぷ火のぼやきでした。


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 #読書 #文学 #小説 #哲学 #浪曼 #眼透紙背 

 

 

書物の海原?船旅……馬鹿馬鹿しい。この

心ない世界よ。その中にあって君の存在ただ一人が、一個のかけがえのない、動かしがたい地位と重量をもって、透明でまっすぐな光を――ああ!

覆われても尚あえずして漏れ出でてくる光のように、何かの意志?力?運命を!ただ私に向かって確かに発し続けていた。

またそれは、客観的にみて良心と呼べることもあった。良心!良心というものが未だ嘗てしてこのような輝きを放ったことがあっただろうか?

良心?否!そんなことはどうでもよいのだ、この重みに比べれば。その軽々しく卑俗な響きを後目に、さて私は幸福だった。人生とは、全くこうあるべきなのだ。

そして同時にこうも思った、即ち、この満ち足りた力は一体どこからやって来るのだろう?果たしてこんなことがあってよいものだろうか?と。

私は間違いなくこの恵みによって生かされていた。無神論者の私が追いかける〈絶対者〉――苦しくて、息ができないのだが、それがこの世のものとは思えぬ悦びとして私を震え上がらせている。

私とあなたは、いつも初めて会った気がしないのだ。そうだろう?

(孤高の哲学者【ぱぷ火】の詩はつづく)

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🐧💚【ぱぷ火vlog#7】うpしました→【https://youtu.be/5RlT7slj-QM

(^'◇'^)ぷりり

 

”Erwage,――「よく思い見るがよい、

……というのは、J.S.バッハヨハネ受難曲(bwv245)第二部、最初のテノールのアリアの題名です(訳詞は加藤常昭氏)。この曲を用いて、令和六年初のyoutube動画【ぱぷ火vlog#6】を作りました→【https://youtu.be/pjIcTIG5I_o】🐧💚

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今回もまた替え歌など詠んでおりますが、ほとんどが珈琲を抽出しているだけの動画と言ってもいいです。歌詞も付いていない音源なので退屈かも?別ヴァージョンのものも後でうp出来たらと思っております。ブログもうpしたいことが色々あったのですが全然できていませんね。2024年もより実りのある年にしてゆきたいです。『身養生』(^'◇'^)ぷりり

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ニーチェの馬とオレンジの皮――私が愛したオレンジの皮よ今いずこ

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前回触れたニーチェのある逸話とは、表題の「ニーチェの馬」からお察しの方もいらっしゃるかもしれませんが、ニーチェ発狂の発端になったと言われているものです。

1889年の1月3日、トリノに滞在していたニーチェは散歩中、カルロ・アルベルト広場へ出たところ殴られている馬車馬を目に止めて、何を思ったのか?泣き喚きながらその馬の首にしがみついたままその場に倒れ込んで意識を失い、その後目覚めてからは精神が正常に戻ることはなかった、とされています。(出典・史実如何は未確認です)

私はこの話を知った際、自分の中にあったある感情と、それからその時の出来事の記憶を強く呼び起こされたのでした。その時の感情は馬に抱きつき泣き喚いたニーチェのものと同じ性質のものではないかもしれませんが、勝手に親しみを覚えてしまったのです。

私が何を思い出したのかと言うと、オレンジの皮――私の保育所時代に母に連れられて行ったスーパーマーケットの店内、誰かがゴミ箱に入れずに床の上に取り残されていた、試食用のオレンジの皮のことです。オレンジの皮、否それは皮だけになったオレンジの一部、一部のオレンジだった。一つのオレンジの、引いては一つのオレンジの木の。

たまたまそれを見止めた私は、母に「(そのオレンジの皮が)可哀想、可哀想」と何度も呼びかけ、母から「触ると汚いから」と叱られると一段と激しく泣き叫び続けたので、抱きかかえられそのまま帰ったという記憶でした。

当時からそれはおかしいという認識は頭の片隅にあったように思いますが、なぜ暴れてしまったのか自分でも分かりません。ただ、今もこの時のこの感情は全く変わらずに胸の中に蘇ってある――それは、生き物にとっては、それが人間であったとしてもおかしな感情ではないのではないか、と今は思っています。


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夏から秋への……

ここ数ヶ月というもの、私はウェブ世界の住人になりきれずアナログに引き籠っていました。その間も料理を作ったり珈琲を飲みながら読書をしたり、そしてまた動画を撮ったりと特別変わるところはありません。ただ生来の熱しやすく冷めやすい質が災いし、行動が散漫になり、更新を途絶えさせてしまいました。これは実は私の読書活動においても当てはまっていて、しかも(生活全般においてですが)四季の移り変わりによる気分や志向の変化というものも影響するので、なかなか読みたい本が読み切れずに増えていくばかりで、一向やりたいことが片付かずに困ってしまう所以でもあります。

さてあの暑い夏が過ぎ秋になり、束の間に冬になってしまいました。私はこれぞ、と思った本に囲まれながら色々と手に取り、少し疲れてしまっていました。その過程で思いがけずニーチェを繙くに至ったのですが、それからというもの数日間、私はニーチェに夢中になっていました。(私の哲学遍歴についてはいつかどこかでお話する機会があるかも?それはその時に譲るとして)まず彼のある逸話を知り、思ったことなどを今度改めて書くことにします。

丁度その頃の朝食

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――トーストに檸檬ジャムとヴィーガンバター、オムレツを模したヴィーガンオムレツ、そして豆乳ラテです。『朝の食事 中央公論社(1960)』という本を参考にしました。

ちなみに前々回のyoutube動画「文豪の朝食」と題して三島由紀夫氏の朝食をまねて作った際に氏の全集本を参考にしましたが、上記の本にも、囲み記事「私の朝食(2)」の中に他の文化人の方々の例に並び記されていたので、補足として以下に引用しておきます。

スクランブルド・エッグ、またはフライド・エッグ

モーニング・コーヒー(ミルク入り)

トースト(ジャム、またはマーマレード)

以前はハーフ・グレープフルーツを毎朝食べていましたが、入手難なのでやめました。

イングリッシュ・マッフィンもしばらく試みましたが、結局トーストに落ち着きました。」(p.46)


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